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作词 : 稲垣千頴 |
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蛍の光 |
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詞:稲垣千頴 曲:スコットランド民謡 「オールド·ラング·サイン」 |
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螢(ほたる)の光(ひかり)、窓(まど)の雪(ゆき)。 |
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書(ふみ)讀(よ)む月(つき)日(ひ)、重(かさ)ねつゝ。 |
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何時(いつ)しか年(とし)も、杉(すぎ)の戸(と)を、 |
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開(あ)けてぞ、今朝(けさ)は、别(わか)れ行(ゆ)く。 |
[01:22.050] |
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[01:37.630] |
止(と)まるも行くも、限(かぎ)りとて、 |
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互(かたみ)に思(おも)ふ、千萬(ちよろづ)の、 |
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心(こゝろ)の端(はし)を、一言(ひとこと)に、 |
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幸(さき)くと許(ばか)り、歌 (うた) をなり。 |
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(歌白:卒業しきの歌いや |
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お店が閉まる時に流れてくるメロディーいやいや紅白歌合戦のラストソング。 |
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この歌に日本人が親しんでから、もうかれこれ130年になります。 |
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学校生徒が出来て、子供がみな通学することになり、 |
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音楽の授業、当時は唱歌の授業でいてましたが、それがスタートした明治十四年(1881年)、 |
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一番初めの音楽の教科書に掲載されていた歌こそが、この歌、蛍の光でした。 |
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今では二番までしか歌われていませんが、 |
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最初はなんと、四番まで歌詞がありました。) |
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[03:26.430] |
筑紫(つくし)の極(きわ)み、陸(みち)の奥(おく)、 |
[03:39.310] |
海山(うみやま)遠(とほ)く、隔(へだ)つとも、 |
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(歌白:筑紫だは九州、陸の奥は東北「陸奥」のことです。) |
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その眞心(まごゝろ)は、隔(へだ)て無(な)く、 |
[04:11.990] |
壹(ひと)つに盡(つ)くせ、國(くに)の爲(ため)。 |
[04:25.540] |
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千島(ちしま)の奥も 沖縄(おきなわ)も |
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八洲(やしま)の内(うち)の、護(まも)りなり。 |
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至(いた)らむ國に、勲(いさを)しく。 |
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努(つと)めよ我(わ)が背(せ)、恙(つゝが)無く。 |
[05:20.930] |
恙無く。 |
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(歌白:そうだったんです。 |
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つまり学校を卒業した後は、愛国精神をもって、皆で国を守ろう、そういう歌だったんですね。 |
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この歌が発表された後、日本は日清戦争、日露戦争に経って、 |
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日本の国土をどんどんど広げていきます。 |
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それにここで、四番は二番の「千島の奥も沖縄も」の歌詞が、 |
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「台湾のはても、樺太も」と変化していくのです。 |
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昭和二十年(1945年)太平洋戦争が唐突に終わりを告げます。 |
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その後、 |
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その歌詞は無くなり、 |
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今の二番までの歌詞になっていくのです。) |
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[06:40.050] |
開けてぞ、今朝は、别れ行く。 |
[06:53.170] |
止まるも行くも、限りとて、 |
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互に思ふ、千萬の、 |
[07:20.000] |
心の端を、一言に、 |
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幸くと許り、歌ふなり。 |
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